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くつろぎタイム2026年7月号を発行しました
くつろぎタイム2026年7月号 [PDFファイル/213KB]
尾崎放哉 没後100年
20年以上前、別府大学で司書講習を受講しました。なぜか九州では種田山頭火の句碑に触れる機会が多く、「それなら帰りに小豆島の放哉の墓に参ろう!」と別府港から四国へ。四国の北岸を当時の愛車HONDA・ベンリィCL50で東進するも、あまりの車の多さに辟易。結果、ハンドルを右に切り、四国山地をさまよった挙句、知らないお寺を訪ねてみたり、かずら橋を渡ってみたり、剣山に登ってみたり。ぶらり野宿旅の果て、ようやく高松港から小豆島へ。
山頭火と並ぶ自由律俳句の巨人・尾崎放哉の墓石には【大空放哉居士】と刻まれていました。「昭和の漫才師みたいな戒名ですね…」と、見晴らしのいい高台の墓地から放哉さんとしばらく景色を眺めたのでした。
鳥取出身の俳人・尾崎放哉は流転の末、大正最後の年、1926年に小豆島で孤独の内に亡くなりました。そして今年は没後100年となります。
放哉は1885年、現在の鳥取市吉方町に生まれ、1909年に東京帝国大学法科大学を卒業とエリート街道まっしぐら。10代半ばから俳句を作り始め、第一高等学校時代には生涯の師・荻原井泉水に出会っています。大学卒業後は国内外の保険会社で働きますが、酒で失敗し免職。病気も悪化し、1923年に帰国。「死ぬまでは句作を生命としたい」と家族を捨て、神戸市の須磨寺や福井県小浜市の寺の堂守・寺男をしながら句作を続けます。そして1925年8月、小豆島の南郷庵にたどり着き、1926年4月7日に亡くなりました。
代表的な句のほとんどは、亡くなるまでの最後の3年間に作られています。
春の山のうしろから烟(けむり)が出だした
放哉の辞世の句といわれているこの俳句。
里山で春の営みを告げる野焼きが始まった風景を描写した句だとよく言われますが、僕には「放哉自身が荼毘にふされている、その烟が空に昇っていく」という風景に思えてなりません。死に近づいていく己の孤独を冷徹なほど客観的に捉えていた放哉だからこそ、自分の死後の風景を自ら想像して描くのも面白いなと思うのです。
放哉の死から3日後、熊本にいた山頭火は放浪の旅を始め、数々の名句を生み、後に放哉の墓前も訪れたということです。
主な所蔵本
放哉関連書は他にも所蔵しています。
『尾崎放哉句集』池内紀 編 岩波書店
ドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんが独自の視点で撰んだ放哉の句集。自由律俳句以前の定型俳句も収録。
『尾崎放哉句集』尾崎放哉 著 春陽堂書店
句からイメージを得た写真も掲載されている読みやすい句集。
『尾崎放哉 郷土出身文学者シリーズ(1)』鳥取県立図書館 編・発行
放哉の足跡をまとめた入門書。



